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会いたい人の姿もおぼろげ

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どーもどーもお久しぶりです。 5月もあっという間ですね。 僕は相変わらずポルノグラフィティを聴きながら呑気に過ごさせてもらってます。でもこのままじゃいかんな、とは少しずつ感じ始めてますよ。自分の欠点を隠してくれる居心地のいい場所だけにいては腐ってしまいますしね。 今日は『ラック』という曲をかけていた。 このラックはLUCKではなく、LACKの方。 タイトルもこの曲の歌詞から引用。毎度のことだけど。 ふつーに食事もできていて、学校や会社にも行っていて、 平凡に暮らしていくことができる。 夜でも明るくて、いつでも酒が飲めるし、お金さえ払えばむふふなこともできる。 友達も家族もいて、欲しいものも手に入って、そこそこの人生。 でも強烈に何かが不足している。 一人では生きていけない人間なのに、『会いたい人』がどんな人なのかわからない。何にも憧れていないし、目指す目標もない。 別の見方をしてみると、その「そこそこの人生」も 非常に不安定なものに支えられているように思える。 出ていないと社会で冷遇されるから仕方なく行く学校。 その中で何となく気が合っただけで付き合っている友人。 個性をむき出しにすると、従順にしていないと反感を買う。 普通でいるように圧力をかけられ、それに逆らえない無力な自分。 逃げることはできない。 逃げたら貧乏になる・・・なんとか耐えてはいるけれど。 何を倒せばいいのだ? そんな閉塞感にも悩まされる。 以上が僕の『ラック』という曲の解釈。 ポルノグラフィティは人の持ってる優しさも弱さも、 それから強さも知っていて、さらに閉塞感も表現してしまうから凄いと思う。 「希望が持てない」と言われて、久しい。 まさにラック(欠落)しているものっていうのは希望なんじゃないか。 僕らって、当然例外はあるとしても、 そこそこ真面目に働いて、そこそこのお金をもらって、 そこそこの生活をしたいって思ってる人多いんじゃないかと思う。 めちゃめちゃ大金持ちになりたいって思ってるわけでもないし、 かといって貧乏な生活は嫌だなーっていう。 でもそれはきっと絵に描いた餅なんだろうって、多くの人が気付いている。 過酷な労働が待っているという予感。 それ...

きのうのせんきょ

日付が今日になってから、asahi.comで発表された選挙結果を元にデータをまとめていた。こちら→  http://www.asahi.com/senkyo/local2011/data/G13.html 2011年4月10日 埼玉県議会選挙              獲得議席数   割合   議席数増減 自民        45      63%       +3 民主        11      15%             -2 公明       9       13%      +4 みんな     1       1%       -1 共産       2       3%       -1 無所属     3       4%       ? とりあえず、単純に自民党が多い。 そもそも候補者の数も 自民53 人に対して 民主25 人。 自民党当選率は 自民85% , 民主44% 。 (当選者数÷立候補者数) これは議席数の増減が微小といえど、民主の敗北という表現は避けられない。 ただ、もともと自民の地盤が強いんだと思う。 (住んでるくせによく知らないのだけど) 自民党の当選45人のうち、現職の当選は40人だからね。 ※40÷45≒0.89 → 89%が現職の当選(11%は新人) ちなみに民主党の立候補25人中新人の落選は7人(当選5人)。なかなか苦戦。 (さらにちなむと、民主の現職の当選は6人,落選は7人) 民主党の当選率は44%と低い結果…。 印象としては、自民党の数に大きな変化(躍進)は見られないから 自民党が好まれたというより 民主党が嫌われたって感じかな? なおさいたま市議選挙でも同じことやってみた。 結果だけ載せておく。 2011年4月10日 さいたま市議会選挙       獲得議席数   割合   議席数増減 自民        18      33%       +5 民主        12      22%              ...

真実が書き替えられたら

今日は最近読んだ本の話でも。 ジョージ・オーウェル『1984年』。 ビッグブラザーなる権力を持った「党」が個人を完全に監視し、異端者は拷問にかけられる世界を描いたものだった。この世界では一党独裁となっているようで「党=国家権力」と見なしてよさそう。 この党が個人を監視するのに用いられるのがテレスクリーンと呼ばれる、テレビのような監視装置。映像を流すことに加え、観ている「こちら」側の様子をカメラのように捉える、相互に送受信できるという架空の監視装置だ。 また党は過去をいとも簡単に塗り替える。自分達に都合の悪い情報は書き換えられるのだ。 考えてみれば僕達も学校で歴史を習うわけだけど、それが正しいという保障は何処にもない。習うこと自体は正しいかもしれないけど、何を教え、何を教えないかは完全に権力で決められている。日々接するニュースだってそう。NHKだから、ネットだから、枝野の発表だから正しいわけではない。 現実の話は一旦置いておくとして、ビッグブラザーは平気で嘘をつく。嘘をつくだけじゃなく、その嘘を新たな真実にしてしまう。 数年前から敵国Aと戦争をしていたのに、ある日突然AではなくBと戦争していると発表する。そうすると、今までAと戦争していたと書かれていた文書は全て消され、Bと戦争していたと書き替えられるのだ。そうして国民にBと戦争しているのだと植え付ける。 「うそだ!Aと戦争していたのだ!」 と主張すれば異端として目を付けられることになる。 一体オーウェルは何を思ってこんな国家を描いたのだろうか。 単なる社会主義・共産主義に対する反発というより、当時のイギリスの左派に対する反発がオーウェルの心の内にはあったと訳者は解説していた。もともとは貧しい労働者階級を守ろうとする左派だったのに、権力を持った途端、その権力にしがみついて堕落。結局のところ労働者は労働者として永遠に搾取される。その悲しい実態を、オーウェルは受け容れられなかったようだ。 一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫) ジョージ・オーウェル http://t.co/obFlK63