会いたい人の姿もおぼろげ

どーもどーもお久しぶりです。
5月もあっという間ですね。

僕は相変わらずポルノグラフィティを聴きながら呑気に過ごさせてもらってます。でもこのままじゃいかんな、とは少しずつ感じ始めてますよ。自分の欠点を隠してくれる居心地のいい場所だけにいては腐ってしまいますしね。




今日は『ラック』という曲をかけていた。
このラックはLUCKではなく、LACKの方。
タイトルもこの曲の歌詞から引用。毎度のことだけど。


ふつーに食事もできていて、学校や会社にも行っていて、
平凡に暮らしていくことができる。

夜でも明るくて、いつでも酒が飲めるし、お金さえ払えばむふふなこともできる。
友達も家族もいて、欲しいものも手に入って、そこそこの人生。


でも強烈に何かが不足している。


一人では生きていけない人間なのに、『会いたい人』がどんな人なのかわからない。何にも憧れていないし、目指す目標もない。




別の見方をしてみると、その「そこそこの人生」も
非常に不安定なものに支えられているように思える。

出ていないと社会で冷遇されるから仕方なく行く学校。
その中で何となく気が合っただけで付き合っている友人。
個性をむき出しにすると、従順にしていないと反感を買う。
普通でいるように圧力をかけられ、それに逆らえない無力な自分。
逃げることはできない。
逃げたら貧乏になる・・・なんとか耐えてはいるけれど。


何を倒せばいいのだ?


そんな閉塞感にも悩まされる。






以上が僕の『ラック』という曲の解釈。

ポルノグラフィティは人の持ってる優しさも弱さも、
それから強さも知っていて、さらに閉塞感も表現してしまうから凄いと思う。





「希望が持てない」と言われて、久しい。
まさにラック(欠落)しているものっていうのは希望なんじゃないか。

僕らって、当然例外はあるとしても、
そこそこ真面目に働いて、そこそこのお金をもらって、
そこそこの生活をしたいって思ってる人多いんじゃないかと思う。

めちゃめちゃ大金持ちになりたいって思ってるわけでもないし、
かといって貧乏な生活は嫌だなーっていう。

でもそれはきっと絵に描いた餅なんだろうって、多くの人が気付いている。


過酷な労働が待っているという予感。
それどころか場合によっては仕事を持てるかさえも不安。
頑張って働いたところで相応の賃金が得られるとも限らない。
いや得られない。得られるって信じることができない。


僕らは『苦しい思いをすれば(必ず)報われる』って思う傾向にあると思う。
苦しい思いをしたのに報われないと不満に感じ、
大して苦労していないのに成功をした人を妬んでしてしまう。


そういう価値観を持っているから、
頑張った分だけの対価が食えるわけではない将来に、
強い不満を持っているんだと思う。
それが原因で希望を持てなくなってしまってるのだろう。




僕は学生の頃、これから何をしていいのか、
人生で何に打ち込んだらいいのかって思ってはいたんだけど
うまく見つけられなかった。

そして何より希望が持てなかった。
僕は自分の心の動きに割りと鈍くて、どうして希望が持てないのか
自分でもよくわからなかった。


僕が社会問題に興味を持ち始めたのは20歳前後。
ずっと理科系の勉強をしてきて歴史すら全然知らなかったけど
最近になって少しずつ何が問題なのか見えるようになってきた気がする。


今日のブログも、吸収してきたことの一部を自分の言葉でまとめたもの。
もう分かりきってるよ、聞き飽きたよそのテーマって人もいるだろうけど
ご容赦ください。


自分が公平に扱われてないって、うすうす勘付いている。
未来なんて無くて、あるのは現在の継続。
希望を持って社会に出ても裏切られるという予感。
信じることができない。
だけど、自分の力でどうすることもできない。
世の中が変わってほしい。

無力感。他力本願への自己嫌悪。

課題は大きいねぇ。
みんな貧乏になりたくはないもんなぁ。





ただ嬉しいことに世の中にはそういう不安を感じてない、
自分が普通に頑張ればやっていけちゃう、
自分の未来が想像できる人もいる。
そういう人を羨ましくも思うけど、尊敬もするし、心から応援もしてる。


希望が持てるって、
自分が将来こういう人間になっていくだろうなって想像できるって、
『会いたい人』がイメージできるって、素晴らしい。



政策だとか国家ビジョンだとかいう話には踏み込まず、こんなところで失礼します。


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