体験や経験が価値になる世の中

最近諸事情から新しい病院に通うようになりまして、検査を色々受けています。

1月には胃カメラやりましたし、今日はMRIをやってきました。

もう医療費がかさむかさむ…。




で、今日検査を受けたところは研究施設が併設されている医療機関で、診療で得られた僕のデータを研究に活用することに同意してもらえるかって最初に訊かれました。

バイオバンクというらしいです。

僕のデータで研究してもらって新しい治療や検査に役立ったり、そして将来の患者さんに貢献するのならぜひ活用してもらいたいものです。



思えば今当たり前と思っている医療も、過去の患者さんがいなければ(そして論文といった形で研究成果が共有されんければ)成り立っていなかったかもしれません。

病気持ちというと、就職の際はどうしても不利になるし、そもそも働きたくても働けない可能性も出てきます。

社会のお荷物のようなレッテルを貼られてしまう、あるいは当事者はそんな気持ちになるのではないでしょうか。

しかしながらバイオバンクに代表されるように、患者のデータ(個人情報と言い換えてもいいかな?)は確かに有用性があり、くだけた言い方をすると価値があることになります。

本人の貢献の実感や意図はともかく、病に冒された人であっても社会に貢献して価値を生み出していると捉えられないでしょうか?



別の観点からもう少し考えてみたいと思います。

僕は最近YouTuberをよく観ているんですが、彼らは何を商品としているんだろうと疑問に思います。

言い換えてみると、僕らはYouTuberのどこに面白さや価値を感じているんだろうっていう疑問だと思うのです。

(YouTuberの商品はチャンネル登録者数や再生数で広告をいかに多くの人に見せられるかが商品だという主張はその通りなのですが、ここでは視聴者目線で考えてみます)

たとえば僕の大好きな「きまぐれクック」。

各種の魚介を捌いたり、釣りの動画をあげている方です。

冬の太平洋の荒波の中に潜む【大物】を狙いまくってみた



貼り付けた動画はぶりを釣って、さばき、調理していく動画です。

僕自身、普段から魚を捌くわけでもないし、魚もそんな食べないのですが、魚をさばいてる姿が面白くかっこよくて好きなんです。

魚に関する知識も豊富で、料理もでき、盛り付けも上手。

僕がおススメのYouTuberをきかれたらヒカキンでもはじめしゃちょーでもなく、きまぐれクックを推します。



で、彼らYouTuberは何を動画にしているか。

僕らは何を観ているのか。

これは僕の答えですが、YouTuberである彼らと「体験を共有している」のだと思います。

よくYouTuberであるのが「〇〇やってみたら△△なことになった」「□□してみたらどうなるの?」というタイトル。

有名なのだとメントスコーラですね。



メントスコーラを口の中で封じれるかチャレンジしてみた!




コーラにメントスを入れると勢いよく噴き出すのですが、それを口の中でやった動画です。

たとえ小学生のおふざけレベルのことであっても「やってみた」を動画配信することで視聴者と体験を共有し、娯楽が生まれていると思います。



はじめに挙げたきまぐれクックさんだともっと深くなります。

なぜなら彼は「初めて」釣りをしたわけでもなく、また「初めて」魚を捌いているわけでもありません。

これは推測に過ぎませんが、これまでに何回も魚を捌いて腕を磨いてきたのだと思います。

つまりメントスコーラのような「単に1回だけやってみた」という体験だけでなく、「これまでに積み重ねて磨いてきた技術、知識、経験」も動画となって現れているのだと思うのです。

視聴者が消費している価値は、こうした体験や経験だと思うのです。




最初の話に戻ります。

僕は体調を崩し、医療機関で検査を受けています。

僕のデータが(実際にどうなるかはともかく)研究に活用される価値のあるものとして考えられています。

ということは、僕の「体調を崩したという経験」が価値を持っていることにならないでしょうか。




僕はこうしてブログを書いています。

ブログは何を「ネタ」に書いているか。

それは当然僕の身の回りで起こったこと、僕が読んだ本、見たもの、聞いたこと、思ったこと、考えたこと、僕が経験したすべてです。

アフィリエイト目的のブログなんかは特にそれが顕著です。

商品紹介の際、アフィリエイトでは実際に使ってみてどうだったかという効果、感想が重要になります。

これはインスタグラムやYouTuberの案件動画でも同じではないでしょうか?



結論しましょう。

僕が言いたいのは、今や世の中の主要な商品とは「体験・経験」なのだと。

人生の森羅万象が「ネタ」といっても過言ではないかもしれません。




どんな人の、どんな体験にも、それぞれの価値があると僕は考えています。

同じ保湿剤でも、皮膚の強い人が使うのとアトピーの人が使うのでは全く違うはずです。

その意味で、個人差はかえって重要になります。

人と同じであることよりも、差異がある方が価値が生まれます。



あえて言いますが、人間に価値があるとはいいません。

人間の価値に大小なんてありません。

どんな体験や人生にも価値があるのだと思います。

希少性のある体験(誰もやったことのないことをやる)というのはあると思いますけどね。

ということは、生きている以上どんな人も刻一刻と価値を生み出しているのではないかと思うんですよね。

下記の本で、山森さんも「生きていることは労働だ」なんて言ってます。

参考文献
山森亮[2009]『ベーシック・インカム入門』光文社新書



経済が変化している時代に、僕らは生きているのかもしれません。

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