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12月, 2017の投稿を表示しています

生活保護費削減のニュースを受けて

今日、こんな記事を目にしました。 <生活保護費> 「どんどん下げられると、やっていけない」 12/19(火) 21:40配信 毎日新聞 ‟政府の方針では、受給額のうち食費や光熱費など生活費相当分について、3年で最大5%引き下げるとしている。” 生活保護の保護基準の引き下げに関するものでした。 このニュースを見てからTwitterでいくつか発信したところ、僕の他のtweetよりもインプレッションが多く、関心を持ってもらえたようなので改めてブログの形式にしてみようと思いました。 僕もこれまで生活保護について詳しく勉強したわけではないので、少し学んでみようと思います。 それでは以下のようなテーマごとに話を進めていきます。 生活保護とは何か 生活保護に対する予算はどの程度なのか 生活保護への予算は全体の何%か 生活保護費を削減すると何が起こるか 生活保護費をパチンコに使ってはいけないのか 自分がいつか生活に困るかもしれない 働くことができる・できないは目に見えてわかるものではない ●生活保護とは何か 生活保護法第一条では ‟この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。” とあります。憲法二十五条は‟すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。”で有名な条文です。 よく知られているように、生活保護とは最後のセーフティネットです。 この網があるからこそ、我々は谷に落ちる心配をせず安心して暮らしていけるわけです。 生活扶助(生活費に相当)のほか医療扶助、住宅扶助、出産扶助などいくつかの項目が組み合わさって、また世帯人数や加算の有無などによって支給額が決定されます。 どうやら政府はこの保護水準(支給額・保護費とも)を引き下げることで3年で160億円の削減することに決定したようなのです。 生活保護費、160億円削減=減額幅最大5%―財務、厚労両省 人の命の保障ともいえる生活保護費です。 受給してる方は貯金の許されていない中で、さらに切...

読書・ヴァン・パリース編1

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読書好きな方も読書嫌いな方もこんばんは。図書館とかブックオフとか行って本棚眺めてると「あ、これ面白そうかも」という本に必ず一冊は会える現象に名前がほしいところです。 ちょっとずつ自由の話を拡大、深化させていきたいなと思っています。 これはどんな物事を考える際でもそうですが、自分一人で考えられることなんてたかが知れています。議論を先に進める前に本を読んでおこうと思います。 今日参考するのはこちら。 ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を フィリップ・ヴァン パリース 固定リンク: http://amzn.asia/6IgvCea 勁草書房から出ているベーシック・インカムの本です。 今日はベーシック・インカムの話はしませんが、自由に関する記述を少し引用出来たらと思ってます。 ●自由の定義 …「私が私のしたい事を行えるとき,私の自由が存在する」のである.しかし,これは正しくない. (p.29) なぜ正しくないのだろうか。 その批判の根拠となっているのがバーリンの「満足した奴隷」だ。 もし自由を「何かを妨害なく実行できること」と定義してしまうと、抑圧されている奴隷であっても達成可能な欲求を実現するだけで自由であることになってしまう、という指摘だ。 つまり実現可能な事柄の集合が小さいのに、その人の選好を操作することで、集合の拡張なく人の自由を増大させることができるというのだ。 従ってこの自由の定義が議論を進めていく上で不適切となるのだとヴァン・パリースは言う。 確かに、だいたいの人は自分に見合わない欲望は「どうせ実現できないから」と諦めてしまっている。 たとえば僕はお金さえあれば引越しをしたい、高い酒を買いたい、もっと気軽に旅行行きたい、車とバイク買いたい、などと思うが現実にはどれも実現できておらず、それでいて日々の生活には妨害がほとんどなく一定の満足感がある。 もちろん現実に生活を営んでいくにあたってこうした欲求のすり合わせというか、我慢は必要になるだろう。 どこまでの欲求を認めるかというのは答えのない問いになってしまう(たとえば僕が金さえあれば自家用飛行機がほしいなどと言い、所得が低く僕の自由が侵害されていると訴えても誰も耳を貸さない)が、人々は自分の持つ集合の...

自由とは何だろうか

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インフルエンザにかかった方もウィルスに無縁な方もこんばんは。 冗談を書く気力もないほど僕は体調が優れません。 体調といっても風邪ひいたとかお腹痛いとかではなくて、メンヘラ系です。 気分が晴れないとか何もする気になれないような体調不良は、僕の経験上 風呂やシャワーで身体を清潔にする よく寝る 陽の光を浴びる たまに歩く きちんと選択した清潔な服を着る 家の中を掃除する 野菜を多めに食べる とかでだいたい良くなることが多いんですけど、今回の波はしぶといです。 そもそも本当に調子悪い時って起き上がれないから、箇条書きしたことを実行することすら難しい。 結果的に清潔感もなく、不規則に惰眠して食事もろくに取らず、病状だけが悪化していくという。 この時期にこんな風に体調が悪化するなんて予期していなかったのできついです。 いや予期してても一緒か、きついですね。 あれ から自由について考えてまして。 僕は自由になりたい・自分のことを自分で決めたいっていうけど、どんな条件が整っていればいいのだろう? 自由に関する論点はたくさんあります。 ●たとえば僕が車を運転したい場合 1.車を入手しないといけない【資金】 とりあえず運転したい目的は置いておくとして(行きたい場所があるのかただ転がしたいだけなのかはどうでもいい)、車を持っていない僕は車を買うか借りないといけません。 買って維持するのはもちろん、レンタカーを借りるとしても一定の料金が発生します。 そもそもアクセス可能な距離にディーラー、中古車や、レンタカー業者、ガソリンスタンドがないと話が始まりません。。 家族や友だちに借りるということもありえますが、その場合には「車を持っている親密圏」の存在が条件となってしまいます。 2.車の運転の方法を知らないといけない【資格・能力】 免許証の所持はもちろん、車の操作方法を覚えておかなければなりません。 3.交通ルールを知らないといけない【法令の遵守】 これも資格・能力の一環ですが、自分以外のドライバーや歩行者に危害を与えることは許されませんから、万が一がないようにルールを守った走行をしなければなりません。 分解して考えてみると「手段へのアクセス」「手段を入手す...

闘う相手

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けんかが強い方も、けんかが苦手で弱い方も、こんばんは。争い自体が面倒くさいと言っていつも逃げているのが僕です。 『ポストブラック社会を』なんてブログタイトルに変えて、一体自分は何と闘っているんだろうと思うことがあります。 挨拶でも言ったように、僕はもともと争いごとは苦手ですしはっきり言って雑魚です。 身体は痩せ、筋肉は落ち、俊敏さもなく、口も下手。 そんな僕は一体何を目指して、何を憎んで、何が許せなくて今の行動に出てるんだろう。 そもそも僕は今どんな行動に出ているだろう? 4年前に実家を出て、新しい職場を選び、人付き合いはあまりせず、休日は1人で出かけることが多い。 体調不良が長引いて仕事を休んでおり、辞めて在宅で収入を得たいなと考えている。 ずっと家にこもっていて極力カネを使わないように倹約した生活をしたいが、現実にはそうもいかないので毎日外に出かけ、必要な食料(だいたいその日食べたくなったものだ)を買ったり時々コーヒーを飲みに出かけている。 もしもカネ持ちだったら引越しもしたいし、服や時計など高価なものも買いたい。 ベーシックインカムには基本的には賛成しているが、最近考え直すようになった。 所得の平等よりもケイパビリティの平等に魅力を感じている。 パターナリズムは大嫌いだ。 そんなことを考えながら雨の中を歩いていたら思い当たった。 僕って「自由」を求めているんじゃないか。 思い返す実家時代。 貯金もなく、一人暮らしをしたいという願望ははじめは叶えられず、僕の行動や選択は制限されていた。 苦痛を味わっていた。 時に制限も必要だっただろう。 それでも状況状況に合わせた狭い選択肢の中から、周囲の希望に沿うような選択しかできなくなっていたように思う。 僕は、自分が何をしたいのかを、まったく理解することができなかった。 どうして自分のことなのに、何が好きで、何をやりたいかわからないのか。 この問題については杉田隆史さんという方の『 正しいネガティブのススメ 』というブログがありがたかった。 思い返せば実家以外にも色々あるのだけど^^; 長くなるのでまたいつか。 「自由」、とりわけ支配からの自由を求めているのだと思い至った。 僕は誰のものでもない、僕のことは僕が決め...

少し早いけど2017年企業の不祥事を振り返る

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人には言えない黒歴史のある方もない方も、こんばんは。夜寝る前に思い出すと「あああああ」と声をあげてしまうの直したいです。 前回ようやくタイトルのブラック社会ってなんぞという話題に触れましたが、最近三菱マテリアルでこんなニュースがありました。 神戸製鋼、日産、SUBARU、まだあったっけ?に続いて三菱マテリアル。これもブラックな社会の一つの側面なのだから、企業の不祥事についてはちょっとまとめてみようかな。 <三菱マテ系不正>不適合品、半年以上も出荷し続ける(毎日新聞) - Yahoo!ニュース https://t.co/LyzuUlm9kB @YahooNewsTopics — satoshi74 (@satoshi74) 2017年11月23日 この数日後には東レもニュースになり、製造業の綻びが明るみになり始めています。 2017年の企業の不祥事のニュースを少し振り返ってみます。 東洋ゴム工業 シートリングのデータ改ざん(※過去にも不祥事) アスクル 火災 消防法違反 日産自動車 新車の完成検査を無資格の従業員が実施 神戸製鋼所 アルミ製品の一部で性能データ改ざん SUBARU 新車の完成検査を無資格の従業員が実施 三菱マテリアル子会社3社 製品の検査データ書き換え 東レ 製品の検査データ書き換え ニュース記事を少し検索するだけでも、背景に業務の多忙や人手不足、規範意識の薄れがあったことが浮かび上がります。 また注目すべきは、ここ数年に起こったことではなく何年も前から継続的に行われていた点ではないでしょうか。 過去から受け継がれてきた慣習の場合、①法令違反だと気付かなかった・知らなかった②把握していたが正す必要がないと判断していた③把握して正そうとしたが実現できなかった④把握して正す必要があると認めていたが正そうとしなかった、の4通りのいずれかです。 ①②は知識不足や認識不足、経営と現場のコミュニケーション不足③は能力不足④は単にサボタージュというか職務放棄でしょう。どのケースであっても色々残念なのですが、④が最も悪質、すなわちブラックだと僕は思います。 僕の勝手な推測ではありますが、公表は無くとも似たような問題は多くの企業で発生し、日々改善のため努力されているの...