自由とは何だろうか
インフルエンザにかかった方もウィルスに無縁な方もこんばんは。
冗談を書く気力もないほど僕は体調が優れません。
体調といっても風邪ひいたとかお腹痛いとかではなくて、メンヘラ系です。
気分が晴れないとか何もする気になれないような体調不良は、僕の経験上
そもそも本当に調子悪い時って起き上がれないから、箇条書きしたことを実行することすら難しい。
結果的に清潔感もなく、不規則に惰眠して食事もろくに取らず、病状だけが悪化していくという。
この時期にこんな風に体調が悪化するなんて予期していなかったのできついです。
いや予期してても一緒か、きついですね。
あれから自由について考えてまして。
僕は自由になりたい・自分のことを自分で決めたいっていうけど、どんな条件が整っていればいいのだろう?
自由に関する論点はたくさんあります。
●たとえば僕が車を運転したい場合
1.車を入手しないといけない【資金】
とりあえず運転したい目的は置いておくとして(行きたい場所があるのかただ転がしたいだけなのかはどうでもいい)、車を持っていない僕は車を買うか借りないといけません。
買って維持するのはもちろん、レンタカーを借りるとしても一定の料金が発生します。
そもそもアクセス可能な距離にディーラー、中古車や、レンタカー業者、ガソリンスタンドがないと話が始まりません。。
家族や友だちに借りるということもありえますが、その場合には「車を持っている親密圏」の存在が条件となってしまいます。
2.車の運転の方法を知らないといけない【資格・能力】
免許証の所持はもちろん、車の操作方法を覚えておかなければなりません。
3.交通ルールを知らないといけない【法令の遵守】
これも資格・能力の一環ですが、自分以外のドライバーや歩行者に危害を与えることは許されませんから、万が一がないようにルールを守った走行をしなければなりません。
分解して考えてみると「手段へのアクセス」「手段を入手する経済力」「資格や免許の獲得」「技能」「知識」等がなければ運転する自由を与えられません。
身体も健康であることが求められます。
車の運転に限らず、マンションを買いたい、ジムに通いたい、旅行に行きたい、…といった諸種の欲望を達成するには各要素を満たさないといけません。
ジムに通うのに資格・技能・知識はあまりいらないかもしれませんが、通える範囲の距離に行ってみたいと思うようなジムがあって、料金を払い続けられ、他人に危害を加えず利用する人だけがジムに通えるわけですね。
●たとえば僕が大麻を吸いたい場合
問答無用にやっちゃいけませんね。
自由というのは「何をしてもよい/好き勝手」「何かをするにあたって障壁がないこと」をイメージしますが、実際にはルールの中で「やってもいいですよと言われている範囲の中から選択してよい」という程度のことに過ぎません。
大麻に限らず、他人を殴ってはいけない、他人の名誉を毀損してはいけない、他人の所有物を盗んではいけない、などルールがあります。
こういったルールは他人の自由を侵害しないようにと配慮されたものです。
逆説的ですが行動を制限するルールによって、自由が確保されているわけです。
もしも自分一人だけの国家を建設したのなら、その領土の範囲では何をしてもいいでしょう。
●もしも僕が空を飛ぶ自由が欲しい場合
そもそも僕には空を飛ぶ能力がないし、経験的にいってその能力の獲得は不可能でしょう。
僕には空を飛ぶ自由はありません。
ただし、この欲望の中で一つだけ自由だなと思えるのは発想です。
ここでは自由が「何ものにもとらわれない」「制限されない」「型にはまらない」という意味で解釈されます。
あの人は自由だなぁといった場合、決して法律を無視したり隣人に迷惑をかけているわけではなく、その人が実現したいことをそのままやっているとか、普通思いつかないような発想が次々出てくる人を指すと思います。
色んなケースを考えましたが、自由を正確に捉えるのはなかなか困難です。
他人にも自由があるという中で、心の中で何を想像してもよいが、実際の行動に移すのはルールの範囲の中だけであり、また経済的・技術的能力をもって欲望を達成できること。
では自由を制限するもの、人から自由を収奪するものとは何だろうか?
他人の自由、名誉、権利?
経済的貧困?
精神的な貧困?
体力的な不自由?
他人からの支配?
続きはまた後日、体調がいい時にでも書こうと思います。
冗談を書く気力もないほど僕は体調が優れません。
体調といっても風邪ひいたとかお腹痛いとかではなくて、メンヘラ系です。
気分が晴れないとか何もする気になれないような体調不良は、僕の経験上
- 風呂やシャワーで身体を清潔にする
- よく寝る
- 陽の光を浴びる
- たまに歩く
- きちんと選択した清潔な服を着る
- 家の中を掃除する
- 野菜を多めに食べる
とかでだいたい良くなることが多いんですけど、今回の波はしぶといです。
そもそも本当に調子悪い時って起き上がれないから、箇条書きしたことを実行することすら難しい。
結果的に清潔感もなく、不規則に惰眠して食事もろくに取らず、病状だけが悪化していくという。
この時期にこんな風に体調が悪化するなんて予期していなかったのできついです。
いや予期してても一緒か、きついですね。
あれから自由について考えてまして。
僕は自由になりたい・自分のことを自分で決めたいっていうけど、どんな条件が整っていればいいのだろう?
自由に関する論点はたくさんあります。
●たとえば僕が車を運転したい場合
1.車を入手しないといけない【資金】
とりあえず運転したい目的は置いておくとして(行きたい場所があるのかただ転がしたいだけなのかはどうでもいい)、車を持っていない僕は車を買うか借りないといけません。
買って維持するのはもちろん、レンタカーを借りるとしても一定の料金が発生します。
そもそもアクセス可能な距離にディーラー、中古車や、レンタカー業者、ガソリンスタンドがないと話が始まりません。。
家族や友だちに借りるということもありえますが、その場合には「車を持っている親密圏」の存在が条件となってしまいます。
2.車の運転の方法を知らないといけない【資格・能力】
免許証の所持はもちろん、車の操作方法を覚えておかなければなりません。
3.交通ルールを知らないといけない【法令の遵守】
これも資格・能力の一環ですが、自分以外のドライバーや歩行者に危害を与えることは許されませんから、万が一がないようにルールを守った走行をしなければなりません。
分解して考えてみると「手段へのアクセス」「手段を入手する経済力」「資格や免許の獲得」「技能」「知識」等がなければ運転する自由を与えられません。
身体も健康であることが求められます。
車の運転に限らず、マンションを買いたい、ジムに通いたい、旅行に行きたい、…といった諸種の欲望を達成するには各要素を満たさないといけません。
ジムに通うのに資格・技能・知識はあまりいらないかもしれませんが、通える範囲の距離に行ってみたいと思うようなジムがあって、料金を払い続けられ、他人に危害を加えず利用する人だけがジムに通えるわけですね。
●たとえば僕が大麻を吸いたい場合
問答無用にやっちゃいけませんね。
自由というのは「何をしてもよい/好き勝手」「何かをするにあたって障壁がないこと」をイメージしますが、実際にはルールの中で「やってもいいですよと言われている範囲の中から選択してよい」という程度のことに過ぎません。
大麻に限らず、他人を殴ってはいけない、他人の名誉を毀損してはいけない、他人の所有物を盗んではいけない、などルールがあります。
こういったルールは他人の自由を侵害しないようにと配慮されたものです。
逆説的ですが行動を制限するルールによって、自由が確保されているわけです。
もしも自分一人だけの国家を建設したのなら、その領土の範囲では何をしてもいいでしょう。
●もしも僕が空を飛ぶ自由が欲しい場合
そもそも僕には空を飛ぶ能力がないし、経験的にいってその能力の獲得は不可能でしょう。
僕には空を飛ぶ自由はありません。
ただし、この欲望の中で一つだけ自由だなと思えるのは発想です。
ここでは自由が「何ものにもとらわれない」「制限されない」「型にはまらない」という意味で解釈されます。
あの人は自由だなぁといった場合、決して法律を無視したり隣人に迷惑をかけているわけではなく、その人が実現したいことをそのままやっているとか、普通思いつかないような発想が次々出てくる人を指すと思います。
色んなケースを考えましたが、自由を正確に捉えるのはなかなか困難です。
他人にも自由があるという中で、心の中で何を想像してもよいが、実際の行動に移すのはルールの範囲の中だけであり、また経済的・技術的能力をもって欲望を達成できること。
では自由を制限するもの、人から自由を収奪するものとは何だろうか?
他人の自由、名誉、権利?
経済的貧困?
精神的な貧困?
体力的な不自由?
他人からの支配?
続きはまた後日、体調がいい時にでも書こうと思います。
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