闘う相手

けんかが強い方も、けんかが苦手で弱い方も、こんばんは。争い自体が面倒くさいと言っていつも逃げているのが僕です。


『ポストブラック社会を』なんてブログタイトルに変えて、一体自分は何と闘っているんだろうと思うことがあります。

挨拶でも言ったように、僕はもともと争いごとは苦手ですしはっきり言って雑魚です。

身体は痩せ、筋肉は落ち、俊敏さもなく、口も下手。

そんな僕は一体何を目指して、何を憎んで、何が許せなくて今の行動に出てるんだろう。





そもそも僕は今どんな行動に出ているだろう?

4年前に実家を出て、新しい職場を選び、人付き合いはあまりせず、休日は1人で出かけることが多い。
体調不良が長引いて仕事を休んでおり、辞めて在宅で収入を得たいなと考えている。
ずっと家にこもっていて極力カネを使わないように倹約した生活をしたいが、現実にはそうもいかないので毎日外に出かけ、必要な食料(だいたいその日食べたくなったものだ)を買ったり時々コーヒーを飲みに出かけている。
もしもカネ持ちだったら引越しもしたいし、服や時計など高価なものも買いたい。
ベーシックインカムには基本的には賛成しているが、最近考え直すようになった。
所得の平等よりもケイパビリティの平等に魅力を感じている。
パターナリズムは大嫌いだ。

そんなことを考えながら雨の中を歩いていたら思い当たった。

僕って「自由」を求めているんじゃないか。

思い返す実家時代。

貯金もなく、一人暮らしをしたいという願望ははじめは叶えられず、僕の行動や選択は制限されていた。

苦痛を味わっていた。

時に制限も必要だっただろう。

それでも状況状況に合わせた狭い選択肢の中から、周囲の希望に沿うような選択しかできなくなっていたように思う。

僕は、自分が何をしたいのかを、まったく理解することができなかった。


どうして自分のことなのに、何が好きで、何をやりたいかわからないのか。

この問題については杉田隆史さんという方の『正しいネガティブのススメ』というブログがありがたかった。


思い返せば実家以外にも色々あるのだけど^^;

長くなるのでまたいつか。


「自由」、とりわけ支配からの自由を求めているのだと思い至った。

僕は誰のものでもない、僕のことは僕が決めたい。

なるほどサラリーマンに向いてない。





僕は世の中の不平等、抑圧、支配・被支配なんかを憎んでいるんだろうと思います。

そしてブラック社会とは、表向き自由な社会であるかのように装いつつ、実際には自由が制限されているという嘘や矛盾のある悪質な社会のことを指すのです。


僕って自由論がやりたかったのか。

ブラックなこの社会からの自由を求めていたのか。

そのために闘いたがっているのか。


実のところ自分でもあまり自覚していませんでした。

今後もブラックな社会の側面について書き連ねながら、一方でそこから逃避する道筋を探っていけたらいいななんて思いました。

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