公文書改ざんについて

昨年末に「少し早いけど2017年企業の不祥事を振り返る」という記事を当ブログで書いた。

この時は神戸製鋼所がアルミ製品の一部で性能データを改ざんしていた問題になっていたこと、日産とSUBARUが新車の完成検査を無資格の従業員が実施していたことを受けて書いたものだ。



時は過ぎ、今年1月。

今度は学術機関から論文不正の問題が明るみになった。

京都大学のiPS細胞研究所の論文が、ねつ造、改ざんのあったものと報道された。



そして今回は公文書の改ざんの問題。



僕はちょっと気になる。

これらの問題は個々別々の問題なのだろうか。

一連の問題は地続きの問題として捉えられないか。



都合の悪いデータがあるという現実を捻じ曲げ、自分たちの都合に合わせて真実を作り上げる。

まさにジョージ・オーウェルが描いた世界そのものじゃないか。

(参考:以前の記事「真実が書き替えられたら」)




蓋をされていた「正しい事実」と「作り上げられた真理」。

虚偽が、改ざんがまかり通ってしまったら、行政機関は何でもありになってしまう。

立件民主党の枝野代表は民主主義の問題と言っているようですが、僕は人権の問題だと思っています。

あるいは言葉の違いであって、同じ意味かもしれません。

権力が、表向きは何ごともないかのように装い、裏で都合のいいように示し合わせる。

国民の財産を奪うかもしれない。

自由を侵害するかもしれない。

権利が脅かされる危険が、日常的なものになってしまう。

そういった危機に立たされているんだと思います。

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