別れを告げる相手とは

人の入れ替わり、出会いや別れの季節をお過ごしのみなさま、こんばんは。自分とお別れしたくなっていませんか?

多忙な4月前半がようやく終わろうとしています。社内行事のために本業を妥協するという本末転倒を堂々と歩んできましたが、上司からは積極的に他部署とコミュニケーションをとっていると評価されたらしく、改めてダメな職場だなと実感しております。

勤め人は正直に言ってきついです。生産手段さえあれば独立自営したいです。

こどもの頃に思い浮かべていたよりも、ずっと平凡な日々になってしまいました。小さい頃から嫌だなと思っていた、毎日スーツ着て会社に行くというような人生を過ごしています。今でも嫌です。スーツはもちろん、ネクタイも嫌いです。靴下は踵までのものしか履きたくない。そして何より毎朝決まった時間に起きなければならないのが苦痛です。

通算サラリーマン生活は5年に満たないほど短いのですが、何度もサラリーマンは向いていないと思わされましたし、辞めたいと考えた回数なんて数え切れないし、仕事自体も大して好きではありません。なんとか退職せずに継続しているのは、職場に会いたい人がいるからです。

勤める、というのは雇用契約を結び、労働者として資本家に労働力を提供することと言い換えられます。僕は自分の自由を制限され、労働力を売って収入を得ます。なぜ自分の労働力を売りに出さないといけないのか。それはひとえに僕が自分で稼ぐ力がないからです。お金も持っておらず、事業を興すための知識や気力、アイデアを生む発想力も欠けているからです。努力によってこの状況は克服可能です。現に学生で起業される方なんて、もはや珍しくもなんともありません。でも僕には(少なくとも今のところ)できそうもありません。やりたい事業も特にありませんし。そんなわけで今の社会にあって、僕は労働者とならざるを得ない状況に追い込まれています。

人生をこのまま、あと数十年も勤め続けて終わりたくないなぁと強く願っています。自分の労働力を他人の、資本のために売りに出し続けるのは性に合いません。冒頭にも記したように、4月は出会いや別れの季節。僕自身の人生のあり方を、もう一度検討するにはちょうどよい頃合いです。

もう深夜なのでここらで筆を置こうと思いますが、就業時間のためにこうして私生活まで制限されるんだから、結局職場に24時間拘束されているようなものですよね。こんな生活とは、確かに別れを告げたくなります。

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