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31歳のおじさんが普通自動二輪の免許に挑戦した話

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ついに念願の普通自動二輪の免許を取得しました! 5月から教習所に通い始めておよそ2ヶ月。 何度も転倒し、時には腰を痛め、失敗を重ね「自分はバイク向いてないんじゃないか」と悩みながら取得した免許には、普通自動車を取得した時とは違った充実感がありました。 これで400㏄以下のバイクであれば乗れるようになります。 ちなみにそれ以上の排気量のバイクに跨るには大型の免許が必要です。 (画像引用元: https://www.webike.net/bike/960/service/7919/ ) それにしても昔からバイクは危ない乗り物という認識だった僕が二輪の免許を取得する日が来るなんて、思ってもみませんでした。 バイクの免許を取ろうと思った一番のきっかけは、昨年から原付に乗り始めたことです。 はじめは原付に跨っているだけで十分楽しかったんです。 自転車と比べても行動範囲はかなり広がりましたし、そのおかげで道もだいぶ覚えました。 でもここが人間の不幸なところといいますか、やはり原付では段々満足できなくなってきてしまったんですね。 僕が原付に限界を感じた理由をいくつか挙げますと パワーが足りず、遅い(もっと速く遠くまで走りたい) スピードが出せないため国道などの大きな道路ではかえって危ない(原付の法定速度は30km/h) 二段階右折が正直面倒くさい 結局原付は街乗りに適した乗り物であり、遠出には向かない乗り物だったんです。 はじめは自転車よりもちょっと遠くに行けるだけで喜んでいましたが、「海を見に行きたい」「他県までツーリングしたい」という次第に膨らむ願望を満たすことは難しくなってきてしまいました。 そこで初めて中型二輪の免許を取ろうと思い立ったのです。 免許を取るまでに要した期間は約2ヶ月。 車の免許を持っている僕は、学科が免除されて技能だけだったので楽でした。 しかしながら二輪の教習には四輪と違うことも多くて驚きでした。 普通自動二輪の教習を受けて驚いたこと 一度も路上に出ない 技能教習時間17時間と少ない!(普通自動車はMTで34時間) スラロームや一本橋という四輪にない課題が...

公文書改ざんについて

昨年末に「 少し早いけど2017年企業の不祥事を振り返る 」という記事を当ブログで書いた。 この時は神戸製鋼所がアルミ製品の一部で性能データを改ざんしていた問題になっていたこと、日産とSUBARUが新車の完成検査を無資格の従業員が実施していたことを受けて書いたものだ。 時は過ぎ、今年1月。 今度は学術機関から論文不正の問題が明るみになった。 京都大学のiPS細胞研究所の論文が、ねつ造、改ざんのあったものと報道された。 そして今回は公文書の改ざんの問題。 僕はちょっと気になる。 これらの問題は個々別々の問題なのだろうか。 一連の問題は地続きの問題として捉えられないか。 都合の悪いデータがあるという現実を捻じ曲げ、自分たちの都合に合わせて真実を作り上げる。 まさにジョージ・オーウェルが描いた世界そのものじゃないか。 (参考:以前の記事「 真実が書き替えられたら 」) 蓋をされていた「正しい事実」と「作り上げられた真理」。 虚偽が、改ざんがまかり通ってしまったら、行政機関は何でもありになってしまう。 立件民主党の枝野代表は民主主義の問題と言っているようですが、僕は人権の問題だと思っています。 あるいは言葉の違いであって、同じ意味かもしれません。 権力が、表向きは何ごともないかのように装い、裏で都合のいいように示し合わせる。 国民の財産を奪うかもしれない。 自由を侵害するかもしれない。 権利が脅かされる危険が、日常的なものになってしまう。 そういった危機に立たされているんだと思います。

最近気になっている本

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ひと月ばかし放置してしまった! この1ヶ月あんまり真面目なこと考えてこず、主にFXでどうやったら勝てるかだけ考えていました。 挙句の果てにFXブログまで作ってしまいました。 「 Delayed StealのFXブログ 」 まだコンテンツ全然ないんですけど、暇なときに興味のある方はぜひ覗きに来てください。 本日は最近読んでみたいなと思って積読してたりAmazonのほしいものリストに入れっ放しになっている本たちをみておきたいと思います。 フリーエージェント社会の到来 新装版---組織に雇われない新しい働き方 ダニエル・ピンク 固定リンク: http://amzn.asia/cDo5h91 ルポ 雇用なしで生きる――スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦 工藤 律子 ルポ 雇用なしで生きる――スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦 工藤 律子 固定リンク:  http://amzn.asia/8dbZ6hz ブログのタイトルが「ポストブラック社会を」になっている通り、僕は現行のブラック企業がはびこり、労働していく以外に生活費を工面する手段に乏しく、最後の頼みの綱(セーフティネット)である生活保護基準は引き下げられるような息苦しい社会に辟易しています。 現行の社会のオルタナティブを模索したいのです。 以前にも書きましたが、FXでトレーダーとして暮らしていきたいというのは、僕なりのこの社会に対する゛No”なんです。 不労で労働より多くの所得を得てやろうと思っています。 悪いのは不労所得でなく、不労所得以下の給与すら払えない経済・労働環境なんだぞって突き付けてやりたいという気持ちは少なからずあります。 まだ全然FXで勝ってないですけどね笑 この2冊はこれから読むので詳しい中身はよく知りませんが、何かヒントになることがあればいいなと思っています。 理想をいえば、労働の有無を問わずすべての人の生活費が保障されているのが望ましいと考えています。 ベーシックインカムもいいですし、最近ではそもそも貨幣を媒介せずにモノやサービスを受け取れる経済を作れないかなって考えています。 キャッシュレスな社会かもしれないし、地域通貨・振興券による社会かもしれないし。 ...

体験や経験が価値になる世の中

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最近諸事情から新しい病院に通うようになりまして、検査を色々受けています。 1月には胃カメラやりましたし、今日はMRIをやってきました。 もう医療費がかさむかさむ…。 で、今日検査を受けたところは研究施設が併設されている医療機関で、診療で得られた僕のデータを研究に活用することに同意してもらえるかって最初に訊かれました。 バイオバンクというらしいです。 僕のデータで研究してもらって新しい治療や検査に役立ったり、そして将来の患者さんに貢献するのならぜひ活用してもらいたいものです。 思えば今当たり前と思っている医療も、過去の患者さんがいなければ(そして論文といった形で研究成果が共有されんければ)成り立っていなかったかもしれません。 病気持ちというと、就職の際はどうしても不利になるし、そもそも働きたくても働けない可能性も出てきます。 社会のお荷物のようなレッテルを貼られてしまう、あるいは当事者はそんな気持ちになるのではないでしょうか。 しかしながらバイオバンクに代表されるように、患者のデータ(個人情報と言い換えてもいいかな?)は確かに有用性があり、くだけた言い方をすると価値があることになります。 本人の貢献の実感や意図はともかく、病に冒された人であっても社会に貢献して価値を生み出していると捉えられないでしょうか? 別の観点からもう少し考えてみたいと思います。 僕は最近YouTuberをよく観ているんですが、彼らは何を商品としているんだろうと疑問に思います。 言い換えてみると、僕らはYouTuberのどこに面白さや価値を感じているんだろうっていう疑問だと思うのです。 (YouTuberの商品はチャンネル登録者数や再生数で広告をいかに多くの人に見せられるかが商品だという主張はその通りなのですが、ここでは視聴者目線で考えてみます) たとえば僕の大好きな「きまぐれクック」。 各種の魚介を捌いたり、釣りの動画をあげている方です。 「 冬の太平洋の荒波の中に潜む【大物】を狙いまくってみた 」 貼り付けた動画はぶりを釣って、さばき、調理していく動画です。 僕自身、普段から魚を捌くわけでもないし、魚もそ...

foreign exchange

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半月ぶりのブログになります。しばらく、特に東京に雪が降った以降体調があまりよくなく、ブログ書くネタも思い付けなかったので放置しちゃいました。 気が付けば2018年も2月に入ってしまいました。もう31/365は終わってしまったのだと思うと少々焦る気持ちが出てきます。 ツイッターでは少しずつ話を挿んでいるのですが、僕は1月にFXを始めました。 FXとはタイトルにもあるForeign eXchangeの略で、外国為替市場への投資のことです。 僕が1ドル100円の時に1万ドル(100万円分)を購入したとします。それが1ドル110円に値上がり(円安)すれば、日本円に直した時に110万円になっています。 つまり為替相場が値動きすることで僕の資産が10万円分増えたことになります。 あくまで上記は例ですが、こうした価格の変動を利用して儲けようというのがFXです。 どうして僕がFXを始めたのかというと幾つか理由があるんですが、一番大きい理由としては現在のブラック社会において賃金(労働への対価)以外に生活費をまかなっていく手段を探してみたかったからです。 だからFXでなく、儲けられるなら株でも仮想通貨でもなんでもよかったんですが、たまたまFXに興味があったのと短期に高収入が得られそうなイメージ(同時に短期に貯金が吹き飛んでいくイメージ)があったのでFXにしました。 今の世の中では働く以外に収入を得る、生きていくための生活費を得ることは大変難しい。 「働かざる者食うべからず」という言葉に代表されるように、働くことは当たり前ともいえる世の中です。 でもちょっと待ってください。 これほどまでにブラック企業がはびこる世の中であっても労働を拒否する権利はないんですか、と僕は言いたい。 人手不足や業務量過多を従業員のサービス精神、時間外労働で解決するような企業ばかりがのさばっていても、そこでサビ残をしながら働かないと暮らしていけない。 あんまりじゃないですか。 という怒りを込めて、FXで不労所得(正確にいえば所得というより資産の価格上昇・下落によるキャピタルゲイン)を得てやろうじゃないかと意気込んで始めてみたわけです。 ちなみに実際...

「告白する」と「告る」を比較してみた

先日「告る」という言葉って、いかにも現代的な言葉なんじゃないかなって思ったことがありました。 もともとは「告白する」、好きな相手に交際を申し入れる、好きであるという気持ちを伝えるという意味ですよね。 「告白する」が「告る」に変化する、つまり「白」が抜け落ちたわけです。 「告げる」という字については伝える、話すという意味合いなのでいいのですが、「白」ってどういう意味なんでしょう? 調べてみると、実は「白」も言う、告げるという意味のようなんです。 科白(セリフ)、自白、白状、なんかが当てはまるようです。 じゃぁ告白というのは同じ意味の漢字を二文字並べた語なのか。 そう思ってもう少し探ると、「白」という字はただ単に言う、告げるという行為を指すのではなく「これまで隠していたことを明らかにする」というニュアンスが含まれているようなのです。 白というのは明るい色です。 ここから、明かす・明らかにする・明るみにする、という意味合いが生まれているのではないかと思われます。 告白というのは「実は以前から好きだったんだという気持ちを打ち明け、相手に伝える」行為のことなのだと理解できます。 ではこの「白」が抜け落ちてしまうというのは、一体どういうことなんだろう? 単に「告る」と言った場合と「告白する」と言った場合の違いとは? 「告る」といった場合、「白」の字に込められていた「打ち明ける」というニュアンスが失われてしまい、重点が「相手に伝える」ことに置かれているように僕は思うのです。 かなり乱暴な言い方になりますが、告る側がもともとずっと好きだったのか、それともシックスセンスがピンときて「この人だ!」と思って告るのか、はたまた夏休みだから交際相手が欲しくて誰でもいいからと告るかは、あんまり関係がない。 そこに至る経緯はともかく、たいせつなのは伝えること。 どんなに強く想いを持っていようと、あるいは軽い気持ちであろうと、伝えなければ何も始まりません。 行動が第一。 「告る」という言葉、「白」の抜け落ちから僕はそういった印象を受けます。 実際、交際が成立するかどうかは「白=打ち明ける」ことではなくて、相互の気持ちやお互いに好意を持っているかどうかが重要なように思います。 告る前から結論は先に存在し...

ちょっくら胃カメラ受けてきた

胃カメラ(GF)受けたことがある方もない方もこんばんは。胃カメラ童貞を卒業してました。 前回の記事はこちら いきなり結論から入りますが、軽度の表層性胃炎が認められるものの、腹痛につながるような所見ではないようです。 というわけで機能性ディスペプシア(FD)と診断を受けてきました。 (EDじゃなくて‟F”Dなのでお間違いのないよう) 10月に猛烈な痛みを経験したこともあったので、胃潰瘍瘢痕くらいあるのかなと思ってたので意外でした。 ということは、胃潰瘍ってあれより痛いのか?恐ろしい…。 現在は痛みもある時とない時とあるし、慢性的なものだから薬は要らないと言ってその日は終わりました。 今回のGFでは生検という、微小な粘膜組織を採取して病理診断に出す検査を追加で行ったようです。 「行ったようです」というのは、一般的に内視鏡下の生検は実際にカメラで医師が観察した時に生検の必要の有無を判断するので、検査中に僕に同意を取られることはないし知らない間に行われてしまうものなのです。 事前には「追加検査を行うことがありますよ」と看護師から説明があります。 (もちろんここでNoといえば同意がないので追加検査は行わないのが普通です。僕は同意していました) おそらくどこの病院も同じだと思います。 ヘリコバクター・ピロリ菌の有無もしっかりチェックしてもらえるということなので安心しました。 検査結果は2週間後くらいに出るということなのでまた後日いってきます。 その他、腹部超音波や採血もしたのですが、特記すべき異常は特にありませんでした。 心配していた肝臓の血管腫の増大もなく、脂肪肝も胆石もありませんでした。 ɤ‐GTPも26U/ℓと正常範囲内。 お酒好きな方は気になる項目ですよね。 その他肝機能だとGOTとかGPTって項目を健康診断では行うはずなので、数値をチェックしてみてください。 腎臓の機能を採血でみるときは、クレアチニンの数値をみましょう。 クレアチニンが上昇していると腎機能が低下している疑いがあり、 放置すれば将来、人工透析(人工腎臓)の処置を受けに毎週3回医療機関に通院しなくてはならなくなります。 一生続きます。 失われた腎臓の機能は回復してくれません(腎臓に限った話ではありま...

初めての内視鏡

とうとう胃カメラ(GF)を受けることになってしまいました。 人生初GFです。 30代になり、アラフォーになる前から人間ドック等ちゃんと受けておかないとなと思っていた矢先でした。 口からカメラを入れるっていうのがちょっと怖くて。 以前ERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造影っていう検査の一種)を施行していた患者(確か結構高齢の方)が検査中に暴れていたのを目にしたので、たとえ10分程度の検査時間とわかっていても何かあったらどうしようと気が気でありません。 もちろん経鼻(カメラを鼻から入れる)も選べたんですけど、僕アレルギー性鼻炎でしょっちゅう鼻閉するので…。 経口以外選べなかったという…。 そもそもどうしてGF受けるのかなんですけど、僕がクリニックに行ったのはエコーを受けたいからだったんですよ。 実は以前に肝臓に血管腫の疑いがあるといわれていたことがあって、そのフォローアップの目的だったんです。 胃カメラ・GFっていうのは食道、胃、十二指腸を調べる検査で、肝臓は超音波とかCTを使って検査するのが普通です。 僕はお酒が好きなこともあるので、超音波をしてもらって、ついでに採血で肝機能を調べてもらえればいいかなと思ってました。 ところが上腹部にたまに痛みを感じることがあったので、一応そのエピソードも話したら「やってみる?」みたいな話になり急きょ検査の予約を取ることに! ありがたいやら予想外の出費ちくしょーやら、色んな感情が出てきて迷ったんですが結局お願いすることにしました。 検査を受けて、何も異常がないのであればそれに越したことはないですしね。 逆に何か見つかれば、それはそれで早めに発見できてよかったということですし。 変なの見つからないといいな。 では当日検査を受け終えて、気が向いたら結果報告します。

英語が話せない医者のせいで喰らったとばっちり

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最近、よくニュースで訪日外国人旅行者が増えているとききます。 日本政府観光局(JNTO)の統計によると2012年に増加に転じて以降、右肩上がりとなっていて2016年には2000万人を突破しました。 僕は観光地でもない、東京の北多摩地区に住んでいるので実感はあまりないのですが、きっと観光地やビジネス街、学生街では「増えたなあ」と感じる方も多いのでしょう。 僕の場合は、留学生用の学生寮の近くの医療機関にいたこともあって、時々外国の方もケガや病気で来た際に対応することが多かったです。 どの地域から来た方であっても、対応する際の言語は日本語か英語でした。 まずは日本語がどれくらいできるのか、日本語での対応が困難であれば英語といった順番だったように思います。 僕が当時1番困っていたのは、ドクターの中には英語で対応できない人もいることでした。 医師法19条では「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と定められており、どの国から来てどの言葉を話している患者であっても、基本的には診察をしなければなりません(断ることができません)。 「正当な事由」に言葉を話せないが含まれるのか、についてどう解釈されるのかが焦点になると思います。 僕は医者でもなければ弁護士でもないので個人的な見解しか書くことができませんが、おそらく言語能力は正当な事由に該当しないだろうなと予想しています。 だいたい現代ではネットにアクセスさえすれば簡単にGoogle翻訳できてしまう時代です。 僕の知る限り「正当な事由」というのは、医師の専門外であるとか、その医療機関では設備が不十分で対応できないとか、診察待ちの患者を多数抱えていて医療機関が機能不全に陥っているとか、その医療機関のブラックリストに載ってしまっているとかです。 その医療機関のキャパシティを超えている(診察を受け入れた場合かえって患者の状態が悪化する危険がある)場合、患者が治療や病院運営を妨害する場合、という風に僕は解釈しています。 だいぶ話がそれましたが、医者が英語が喋れないせいで診察室に呼ばれたことが何度かありました。 リハビリテーション室からも呼ばれました。 ところが僕だって英語なんて日常会話くらいしか知りません...

そろそろ年金を含めた社会保障制度を学校で教えようと議論すべき件

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先日職場から請求書が届きました。 前々から来るだろうってわかっていたので、とうとう来てしまったかといった感じでした。 僕は昨年の10月中旬から休職をしていまして、11月の給料日の支払いはあったのですがついに12月、支払いがなくなりました。 一方で天引きされている社会保険関係の費用は発生しました。 具体的にいうと ・厚生年金 ・健康保険料 ・雇用保険料 ・厚生費 の4つです。 (※社会保険じゃないので含めませんでしたが住民税も。あ、でもそれなら厚生費も社保じゃないか?) 給与が出なくても支払わなければいけないのは知っていたのですが、いざ自分で負担するとなると重たく感じます。 天引きとはよくできたシステムで、引かれる方も痛みを感じることはないし、引く側にとっても心苦しくなることがありません。 今回の請求の件も、経理の方からは言い出しづらそうでした。 残念ながら僕はNHKすらきちんと受診料を払って同僚や上司にバカにされているくらいなので、先日手続きをしてきました。 ついでに市役所に行って、もし仕事を辞めたら保険料っていくらくらいになるの? というのを聞いてきました。 不勉強で僕も知らなかったのですが、国民年金の第1号被保険者ってみな同じ金額を納付するんですね。 国民健康保険(国保)のように所得によって違うのかと思っていました。 国民年金の負担はかなり減りそうです。 ただ一方で健康保険料の負担は、国保の方がわずかに大きくなるようです。 ただトータルで考えれば、辞めてしまった方が年金・保険料の負担が楽になることがわかりました。 今回の1件で、年金や保険のことは少しずつわかるようになってきてるんだなと実感しました。 思い返せば20代前半の頃はさっぱりわかっていませんでした。 でもきっと大半の人がそうですよね。(僕だけっ!? 学校で教えるべきという意見もよく見かけますし。(気のせい!? 僕もその意見に賛成です。 社会科の授業の中か、もしくは「社会保障」という科目を作ってしまってもいいと思います。 年金、健康保険、労災、生活保護、障碍者福祉、児童福祉、…。 資本主義経済を採用する以上、義務教育の段階で一度でも話をし...

天は自ら助くる者を助く

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遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。 今年は今まで以上に読んでくださる方のことを意識したブログ作成ができたらなと思っています。 よろしくお願い致します。 前回の更新から少し間が空いてしまったのですが、あまりにも体調が優れなかったので無理せず休んでました。 休んでる間は「実況パワフルプロ野球」のアプリで遊んでました。 「サクセス」で自分のオリジナル選手を育成し、能力をあげ、選手作成後は育成選手だけでチームを組んで試合をすることができます。 小学生の頃はよくやってたゲームで、懐かしかったですね。 正月にはいうほど読書できなかったのですがサミュエル・スマイルズの『自助論』を読んでいました。 「…、世界に多大なる影響を与えた人間を見ても、厳密な意味での天才、すなわち生まれつき聡明で輝かしい素質を備えた人物は数少ない。むしろ、並の能力にもかかわらず、ねばり強く努力と研究を重ねた末に名声を得た者の方が多い。」 「最大限の努力を払ってでも勤勉の習慣を身に付けなければならない。それさえできれば、何ごとにおいても進歩や上達は目に見えて速くなるだろう。」 「…日々のありふれた仕事をきちんと果たしていくことで、人間はより高い能力を身につけるものなのだ。」 このように勤勉、努力を奨励し、「人間の優劣は、その人がどれだけ精一杯努力してきたかで決まる」とまで言い切ってしまう。 スマイルズにとってその人を取り巻く環境は関係ない。 むしろ苦難こそが人間を立ち上がらせるといい、富は人々を誘惑し快楽に満ちた軽蔑すべき生活に陥らせてしまうという。 「安楽で贅沢三昧の生活は、苦難を乗り越える力を与えてはくれない。むしろ、このようなハリのない生活にひたっていれば、活力に満ちた実り多い人生を送ろうという意欲さえ失ってしまうだろう。」 天は自ら助くる者を助く、で始まるこの『自助論』はビジネス書や自己啓発としては非常に有名な一冊だ。 ご存知の方も多いだろう。 正直なところ、僕は ・努力というのは誰にでもできるものではない ・衣食住の不足や不安がなく、物事に集中できる環境があって初めて可能になる と考えているので、『自助論』を...