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生活保護費削減のニュースを受けて

今日、こんな記事を目にしました。 <生活保護費> 「どんどん下げられると、やっていけない」 12/19(火) 21:40配信 毎日新聞 ‟政府の方針では、受給額のうち食費や光熱費など生活費相当分について、3年で最大5%引き下げるとしている。” 生活保護の保護基準の引き下げに関するものでした。 このニュースを見てからTwitterでいくつか発信したところ、僕の他のtweetよりもインプレッションが多く、関心を持ってもらえたようなので改めてブログの形式にしてみようと思いました。 僕もこれまで生活保護について詳しく勉強したわけではないので、少し学んでみようと思います。 それでは以下のようなテーマごとに話を進めていきます。 生活保護とは何か 生活保護に対する予算はどの程度なのか 生活保護への予算は全体の何%か 生活保護費を削減すると何が起こるか 生活保護費をパチンコに使ってはいけないのか 自分がいつか生活に困るかもしれない 働くことができる・できないは目に見えてわかるものではない ●生活保護とは何か 生活保護法第一条では ‟この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。” とあります。憲法二十五条は‟すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。”で有名な条文です。 よく知られているように、生活保護とは最後のセーフティネットです。 この網があるからこそ、我々は谷に落ちる心配をせず安心して暮らしていけるわけです。 生活扶助(生活費に相当)のほか医療扶助、住宅扶助、出産扶助などいくつかの項目が組み合わさって、また世帯人数や加算の有無などによって支給額が決定されます。 どうやら政府はこの保護水準(支給額・保護費とも)を引き下げることで3年で160億円の削減することに決定したようなのです。 生活保護費、160億円削減=減額幅最大5%―財務、厚労両省 人の命の保障ともいえる生活保護費です。 受給してる方は貯金の許されていない中で、さらに切...

読書・ヴァン・パリース編1

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読書好きな方も読書嫌いな方もこんばんは。図書館とかブックオフとか行って本棚眺めてると「あ、これ面白そうかも」という本に必ず一冊は会える現象に名前がほしいところです。 ちょっとずつ自由の話を拡大、深化させていきたいなと思っています。 これはどんな物事を考える際でもそうですが、自分一人で考えられることなんてたかが知れています。議論を先に進める前に本を読んでおこうと思います。 今日参考するのはこちら。 ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を フィリップ・ヴァン パリース 固定リンク: http://amzn.asia/6IgvCea 勁草書房から出ているベーシック・インカムの本です。 今日はベーシック・インカムの話はしませんが、自由に関する記述を少し引用出来たらと思ってます。 ●自由の定義 …「私が私のしたい事を行えるとき,私の自由が存在する」のである.しかし,これは正しくない. (p.29) なぜ正しくないのだろうか。 その批判の根拠となっているのがバーリンの「満足した奴隷」だ。 もし自由を「何かを妨害なく実行できること」と定義してしまうと、抑圧されている奴隷であっても達成可能な欲求を実現するだけで自由であることになってしまう、という指摘だ。 つまり実現可能な事柄の集合が小さいのに、その人の選好を操作することで、集合の拡張なく人の自由を増大させることができるというのだ。 従ってこの自由の定義が議論を進めていく上で不適切となるのだとヴァン・パリースは言う。 確かに、だいたいの人は自分に見合わない欲望は「どうせ実現できないから」と諦めてしまっている。 たとえば僕はお金さえあれば引越しをしたい、高い酒を買いたい、もっと気軽に旅行行きたい、車とバイク買いたい、などと思うが現実にはどれも実現できておらず、それでいて日々の生活には妨害がほとんどなく一定の満足感がある。 もちろん現実に生活を営んでいくにあたってこうした欲求のすり合わせというか、我慢は必要になるだろう。 どこまでの欲求を認めるかというのは答えのない問いになってしまう(たとえば僕が金さえあれば自家用飛行機がほしいなどと言い、所得が低く僕の自由が侵害されていると訴えても誰も耳を貸さない)が、人々は自分の持つ集合の...

自由とは何だろうか

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インフルエンザにかかった方もウィルスに無縁な方もこんばんは。 冗談を書く気力もないほど僕は体調が優れません。 体調といっても風邪ひいたとかお腹痛いとかではなくて、メンヘラ系です。 気分が晴れないとか何もする気になれないような体調不良は、僕の経験上 風呂やシャワーで身体を清潔にする よく寝る 陽の光を浴びる たまに歩く きちんと選択した清潔な服を着る 家の中を掃除する 野菜を多めに食べる とかでだいたい良くなることが多いんですけど、今回の波はしぶといです。 そもそも本当に調子悪い時って起き上がれないから、箇条書きしたことを実行することすら難しい。 結果的に清潔感もなく、不規則に惰眠して食事もろくに取らず、病状だけが悪化していくという。 この時期にこんな風に体調が悪化するなんて予期していなかったのできついです。 いや予期してても一緒か、きついですね。 あれ から自由について考えてまして。 僕は自由になりたい・自分のことを自分で決めたいっていうけど、どんな条件が整っていればいいのだろう? 自由に関する論点はたくさんあります。 ●たとえば僕が車を運転したい場合 1.車を入手しないといけない【資金】 とりあえず運転したい目的は置いておくとして(行きたい場所があるのかただ転がしたいだけなのかはどうでもいい)、車を持っていない僕は車を買うか借りないといけません。 買って維持するのはもちろん、レンタカーを借りるとしても一定の料金が発生します。 そもそもアクセス可能な距離にディーラー、中古車や、レンタカー業者、ガソリンスタンドがないと話が始まりません。。 家族や友だちに借りるということもありえますが、その場合には「車を持っている親密圏」の存在が条件となってしまいます。 2.車の運転の方法を知らないといけない【資格・能力】 免許証の所持はもちろん、車の操作方法を覚えておかなければなりません。 3.交通ルールを知らないといけない【法令の遵守】 これも資格・能力の一環ですが、自分以外のドライバーや歩行者に危害を与えることは許されませんから、万が一がないようにルールを守った走行をしなければなりません。 分解して考えてみると「手段へのアクセス」「手段を入手す...

闘う相手

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けんかが強い方も、けんかが苦手で弱い方も、こんばんは。争い自体が面倒くさいと言っていつも逃げているのが僕です。 『ポストブラック社会を』なんてブログタイトルに変えて、一体自分は何と闘っているんだろうと思うことがあります。 挨拶でも言ったように、僕はもともと争いごとは苦手ですしはっきり言って雑魚です。 身体は痩せ、筋肉は落ち、俊敏さもなく、口も下手。 そんな僕は一体何を目指して、何を憎んで、何が許せなくて今の行動に出てるんだろう。 そもそも僕は今どんな行動に出ているだろう? 4年前に実家を出て、新しい職場を選び、人付き合いはあまりせず、休日は1人で出かけることが多い。 体調不良が長引いて仕事を休んでおり、辞めて在宅で収入を得たいなと考えている。 ずっと家にこもっていて極力カネを使わないように倹約した生活をしたいが、現実にはそうもいかないので毎日外に出かけ、必要な食料(だいたいその日食べたくなったものだ)を買ったり時々コーヒーを飲みに出かけている。 もしもカネ持ちだったら引越しもしたいし、服や時計など高価なものも買いたい。 ベーシックインカムには基本的には賛成しているが、最近考え直すようになった。 所得の平等よりもケイパビリティの平等に魅力を感じている。 パターナリズムは大嫌いだ。 そんなことを考えながら雨の中を歩いていたら思い当たった。 僕って「自由」を求めているんじゃないか。 思い返す実家時代。 貯金もなく、一人暮らしをしたいという願望ははじめは叶えられず、僕の行動や選択は制限されていた。 苦痛を味わっていた。 時に制限も必要だっただろう。 それでも状況状況に合わせた狭い選択肢の中から、周囲の希望に沿うような選択しかできなくなっていたように思う。 僕は、自分が何をしたいのかを、まったく理解することができなかった。 どうして自分のことなのに、何が好きで、何をやりたいかわからないのか。 この問題については杉田隆史さんという方の『 正しいネガティブのススメ 』というブログがありがたかった。 思い返せば実家以外にも色々あるのだけど^^; 長くなるのでまたいつか。 「自由」、とりわけ支配からの自由を求めているのだと思い至った。 僕は誰のものでもない、僕のことは僕が決め...

少し早いけど2017年企業の不祥事を振り返る

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人には言えない黒歴史のある方もない方も、こんばんは。夜寝る前に思い出すと「あああああ」と声をあげてしまうの直したいです。 前回ようやくタイトルのブラック社会ってなんぞという話題に触れましたが、最近三菱マテリアルでこんなニュースがありました。 神戸製鋼、日産、SUBARU、まだあったっけ?に続いて三菱マテリアル。これもブラックな社会の一つの側面なのだから、企業の不祥事についてはちょっとまとめてみようかな。 <三菱マテ系不正>不適合品、半年以上も出荷し続ける(毎日新聞) - Yahoo!ニュース https://t.co/LyzuUlm9kB @YahooNewsTopics — satoshi74 (@satoshi74) 2017年11月23日 この数日後には東レもニュースになり、製造業の綻びが明るみになり始めています。 2017年の企業の不祥事のニュースを少し振り返ってみます。 東洋ゴム工業 シートリングのデータ改ざん(※過去にも不祥事) アスクル 火災 消防法違反 日産自動車 新車の完成検査を無資格の従業員が実施 神戸製鋼所 アルミ製品の一部で性能データ改ざん SUBARU 新車の完成検査を無資格の従業員が実施 三菱マテリアル子会社3社 製品の検査データ書き換え 東レ 製品の検査データ書き換え ニュース記事を少し検索するだけでも、背景に業務の多忙や人手不足、規範意識の薄れがあったことが浮かび上がります。 また注目すべきは、ここ数年に起こったことではなく何年も前から継続的に行われていた点ではないでしょうか。 過去から受け継がれてきた慣習の場合、①法令違反だと気付かなかった・知らなかった②把握していたが正す必要がないと判断していた③把握して正そうとしたが実現できなかった④把握して正す必要があると認めていたが正そうとしなかった、の4通りのいずれかです。 ①②は知識不足や認識不足、経営と現場のコミュニケーション不足③は能力不足④は単にサボタージュというか職務放棄でしょう。どのケースであっても色々残念なのですが、④が最も悪質、すなわちブラックだと僕は思います。 僕の勝手な推測ではありますが、公表は無くとも似たような問題は多くの企業で発生し、日々改善のため努力されているの...

広がる黒

原付に乗っている方も乗ってない方もこんばんは、夏から乗り始めた僕は冬に原付に乗るのがこんなに寒いとは想像もしませんでした。 2,3週間前にブログタイトルを変えたんですが、だんだん馴染んできたかなって思います。また変更に伴って今まで公開してた記事のいくつかは非公開にしましたし、公開している記事にも加筆修正しました。 ブラック企業という言葉はみなさんご存知かと思います。明確な定義はありませんが、長時間労働など従業員の健康を害する、残業代未払いなど違法である、人格否定やハラスメントがまかり通るなどの問題がある企業のことです。 ちなみに英語のblackという単語にはもともと悪い、不正な、悪意のある、といった意味があります。大切なのは「悪意がある」という点で、無意識に労働者を苦しめているわけではない、是正しようと思えば対処の方法はあるのに是正されないことであると僕は思います。従ってもしブラック企業を言い換えるのならば違法企業、不正企業という言い方では生ぬるくて、はっきりと『悪質な企業』と言わねばなりません。 しかし見渡してみると、果たして悪質なのは『企業だけ』でしょうか? こんなにブラック企業が問題になっているのに取り締まることのできない行政 餓死者が出ようとも生活保護の申請を断念させること(水際作戦)に熱心な福祉事務所 子の人生が親の経済力に左右される不平等 生きていく上で何をするにも費用(おカネ)がかかるのに収入を得る手段は限られている … ブラック企業の蔓延、またその放置を筆頭に、日本社会自体がもはやブラック一色ではないかと疑わざるを得ません。社会全体が悪質に染まっています。 一人ひとり、個人と接すると感じの良い方、博識な方、面白い方、いっぱいいます。僕みたいな取り柄もなくてつまんないやつより魅力的な人が多くいます。でもそれが社会全体で見ると一変してしまうんです。 僕の言いたいことを否定したい、あるいは僕の主張にそぐわないこともあるかもしれません。しかし、暫定でもいいので僕は言いたい。この社会はブラックだと。 僕はこの社会が「ブラック社会」であることを示し、そしてここからの脱却を目指すためにブログの趣旨を変えました。 この悪質な社会を乗り越え、誰にとっても暮らしやすい社会を求めたい。その願いを込め...

ポストブラック社会はキャッシュレスだろうか。

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人生に目標のある方も、目標もなにも今日を生きていくだけで精一杯のあなたもこんばんは。 ものごとは思い通りに進まないですよね。 この前FXやってみたいって言ったんですけど、実はデモ口座はもう作ってあって。でも画面開いても、ここに書いてあるのが何を意味してて、注文どうやったらいいのみたいなの全然わかんなくて。放置してたんですよね。 一応知らない人向けに説明すると、デモ口座っていうのは体験版みたいな感じです。実際に僕の口座にあるマネーは使わないで取引するんです。 そのデモ口座に、勇気を出してもう一度ログインしてみました。 むかし子どもの頃って、ゲームとかおもちゃとか買ってもらっても説明書なんて読まないじゃないですか。あんな感じで「どうせデモ口座だし」と思って、適当にいじってみたんですよ。 やっぱり自分の手を動かしてみるのが大事だろって思って。 それでも最初は要領を掴めなかったんですけど、わかんない言葉とかググって試行錯誤。 ・・・ その一方で最近ビットコインも気になってて。(遅いっていう 日常生活でビットコイン使う場面ってまずないし、そもそも仮想通貨って仕組みが特殊でITオンチにとっては近寄りがたい何かがあるし、というので敬遠してたんですけど調べなきゃいけなくなってしまって。 まあ結局調べたところで、ブロックチェーンがわからないということがわかった、くらいの成果しかありませんでしたけどね(凹 もし世界中にビットコインが広まって日本を含む世界中の店舗で使用できるようになったら、円やドルの信用はどうなるんだろう。ビットコインは将来基軸通貨になりうるのだろうか、いや世界単一通貨の実現も夢ではないのだろうか。もしかして円やドルは地域通貨のような扱いになるのか。もう現金持ち歩かなくてもよくなるんだろうか。 ビットコインから離れちゃうけど、実際amazon goなんて現金の不要なショッピングを実現しているしキャッシュレス社会は夢でもなければ遠い未来のことでもない。 ・・・ 話をFXに戻すと、なんとか注文できるくらいにはなりました。 早速クイックトレードっていう一番簡単な方法で注文。とりあえず色々試したかったのでユーロとか豪ドルとか色々トライ。 すごい...

お休みの過ごし方

英語の勉強が嫌いだったあなたも、好きだった方も、左上にあるdepressionの文字があるブログへようこそ。 と言おうと思ったら、まさかブログタイトルと被ってて読めなくね? 先日話したように( https://satoshi74.blogspot.jp/2017/10/blog-post.html )今は仕事を休んでおりまして。 実は時間があるんです。人生で、それも30代でこんなに時間のある期間なんてそうないと思うので、本を読んだり映画観たり、やってみたいなと思ってたことに手を出してみたいんです。 一番気になってるのはFX。 でも試しにデモ口座作ってみたのに、ちんぷんかんぷん。 何をどう見たらいいのかさっぱりでした。 誰かに教えてもらいたいー。 あと始めたいのが、語学。 実は僕、 いずれは翻訳の道に進んでみようかなと思ってるんですよ。前回の記事でもさりげなく(?)こんな本を訳せるようになりたいって想いをちらつかせてました。 英語でいくか別の言語をこれから始めるかはまだ決めてないんですけど。 ただいずれにしても英語はできないといけないだろってことで、英→日翻訳にいまチャレンジしています。 正直気軽な気持ちで遊び半分で安易に始めたんですけど、予想以上に難しい。 一番大変なのは何かというと、 自分がこれまで関わったことのない分野でもやらなきゃいけないこと。その界隈の初めて聞く専門用語や、業界特有の語とか。 例をあげるなら"run"って単語は一般的には走るって意味の単語じゃないですか。でも野球の世界でrunといったら? そう、「得点」ですよね。 というような特有の訳し方や初めて目にする単語たちを前に悪戦苦闘しています。 言葉にすると当たり前だしやる前からわかってはいたことですが、いざ目前にすると実感が伴ってきます。逃げたい。 一方すごいなって発見もあって。そう、G oogle翻訳。文章を入力するだけで訳してくれるあれです。 以前は役に立たねえって結構バカにしてたんですけど、今では参考になります。熟語なんかだと僕が忘れてることも多いので、Googleに思い出させてもらったり。 こんな感じでやってますが、基本的には楽しいです。言葉って面白くないですか? おかげでボキッと逝ってしまったメンタル...

未来

長時間労働と距離を置いて、もうすぐ1ヶ月。 収入はないけど、それへの不安を除けば心身ともにかなり穏やかな暮らしを実現できる。 とはいえ収入を確保できないというのはやはり大きい。貯金があるんだから暮らしには困らないはずなのに、すごく不安な気持ちに駆られる。持続可能性がないからかな。貯金が食い潰されてしまうからかな。どこからこの不安は来るのだろう。 ブログのタイトルを変えてみた。『ポストブラック社会を』。 思慮、考察から出てきた言葉ではなくて直感的にひらめいた語なので、詳しくは説明できないけれども。いまや個別の企業がブラックかどうかではなく、社会全体がブラック化しているといってもいい状況になってしまっているという認識がまずあって。 賃金は一向に高くならない。長時間労働は是正されない。残業代は支払われない。休みの日が少ない。過労死や過労自殺は解決されない。副業や成果型賃金を導入し、残業代ゼロ、さらなるコストカットを実現しようとする。 こうした悪夢のような世界を打ち破り、もっとマシな世の中を目指したい。 そんな思いを込めてみた。 先日図書館に行った際に ポール・メイソン『ポストキャピタリズム 資本主義以後の世界』佐々木とも訳、東洋経済新報社 https://www.amazon.co.jp/dp/4492315039/ref=cm_sw_r_cp_ep_dp_ZUBcAbYXTNMQS という本に出会った。 まだ読んでるところではあるが 1.第1部の経済学や歴史に関する記述は難しい 2.全体的に、幅広く学問しないと読めない 3.こんな本を訳せるようになりたい というのが感想。内容に踏み込んだ感想はいずれ書けたら。 もっと勉強しないといけないな、なんて甘いこと言ってる場合じゃなくて「ヤバい」と思った。最近新書ばかり読んでて、それはそれでいいのだけど難しい本を手にしてなかったのだ。 新書って一般向けの入門書だから、難しいことは紙幅の都合もあってほとんど書かれない。 読んでみて反省した。しょっちゅう難解な本を読むこともないけど、たまに読まないと目線が低くなって自分がレベルアップしない。 僕が本を好きになったのは、こうして人の心を動かすことがあるからなんだ。 自分も著者のように、現在の先にある未来について想いを...

適職診断って何回やってみるもの?

便利なもので、インターネットには無料の適職診断や性格診断があります。ありますが、いつも気になることがあります。それは何かというと あれって毎回同じ結果になるかな? という疑問。 自己評価って揺らぐと思うんですよ。協調性ひとつとっても、「ないかもしれない」と「どちらともいえない」を毎回同じように選択するだろうか。「全くない」って言いきっちゃう人だったらともかく。 と思って、数週間前にやった同じ適職診断を改めてやってみました。やってみたのは「性格診断セブン」の「適職診断9」( http://xn--9-ck6b740fv3idxh.com/ )です。 まずは10/10にやった結果から。全部のコピペはできないので一部抜粋。 タイプ5 【向いている職業・職場環境】   頭であれこれ考える仕事。   専門知識が必要な仕事。   分析的、客観的、論理的な能力を活かせる。   自分のペースで進められる。   個人の裁量で仕事を進められ、干渉を受けない。   知的刺激がある。   静かに一人で考える時間と空間がある   会議や会合が少ない   http://xn--9-ck6b740fv3idxh.com/5.php タイプ5 | #適職診断9 次。今日の結果。 タイプ1 【向いている職業・職場環境】   やった事が平等、公正に評価される。   努力が同僚や上司から認められる。   勤勉な雰囲気がある。   仕事の手順を改善したり、間違いを正せる。   目の前の仕事にコツコツ取り込める。   ルールや基準がはっきりしている。   定期的に休暇を取れる。   人生設計がしやすい、安定した職業。   細部への注意を欠かせない職業。   倫理観や信念が求められる職業。 http://xn--9-ck6b740fv3idxh.com/1.php タイプ1 | #適職診断9 全然違うじゃん、というのが感想。 これはどう捉えたらいいんだろう。どっちかが正しくてどっちかが間違ってるとは言いがたいし、単純に総合してしまっていいものかもわからない。 何かバイアスあったかな?思い当たることとしては… ・10/10の時点で僕はまだ休暇に入っておらず、安定した暮らしだった ・10/10の時点で僕はサラリ...

救急車っていつ呼んでいいの?

救急車のサイレンが聞こえた時隣の人に迎えが来たよと言ったことがある方もない方も、こんばんは。僕は長いこと社会的に瀕死状態です。 昨夜から腰痛に悩まされております。いわゆるぎっくり腰です(だと思います)。ぎっくり腰になったのは今回が初めてで、湿布貼っても鎮痛剤のんでも全然よくならないことに驚いています。こんな痛みを味わったことがあったかどうか記憶にないのですが、陣痛ってもっと痛いのかなと考えると想像を絶します。 トイレや水分補給で起き上がるのさえ辛い。夜に発症し、あとは寝るだけだったのがせめてもの救いでした。一人暮らしで頼れる人もおらず、かなりの時間をかけてなんとか動くことができましたが、これ夕飯の準備中とかシャワー浴びてるタイミングだったらきっつい。すべての作業を一旦中断して後片付けもしないといけないし、刃物や滑って転倒などの二次的な怪我のリスクも高まります。夕飯食べたあとで本当によかったです。 ここで本題に入りますが、正直迷いました。救急車呼ぶべき? もう一度昨日の僕の状態をおさらいしておきましょう。 ・動くのが辛いほど激しい腰痛になったのは初めて ・辛いとは言っても自力でなんとか歩行でき、トイレくらいなら行ける ・翌朝もし増悪して起き上がれなかった場合、一人暮らしなので助けてくれる人がいない 結論からいうと「自力で医療機関に行けるなら呼ぶ必要はないが、呼んでも責められるケースではなかった」と思っています。 腰痛に限らず体動困難のケースでは、トイレにも自力で行けず、まったく起き上がれないのならば救急要請すべきと考えます。たとえ同居人がいたとしても、おそらく同居人の介助だけで医療機関に行くのは困難でしょうから、緊急性に関わらず救急車で医療機関に向かって必要な検査や処置を受けた方がいい。 僕のケースはそこまでの体動困難ではありませんでしたが、腰痛が初めてで原因が必ずしも明らかでない(交通事故にあったとか持病があるわけではない)ことから医療機関には行った方がよかったでしょう。 腰痛は、筋膜性腰痛症のような筋膜や筋肉が原因のものや、腰椎椎間板ヘルニアのような腰椎に原因にあることが多い一方で、実は尿管結石など他の疾患が原因のこともあります。腰痛の症状が出る中で僕が一番怖いなと思っているのが、腹部大動脈瘤の切迫破裂。破裂してしまえば、出血シ...

メンタルフラクチャー

また心を病んでしまいました。 原因は様々だと思いますが、引き金となったのは過労です。心がボッキリ折れてしまい、翌朝に職場に行こうという気力が全く湧きませんでした。もうこのまま仕事し続けたら自分が潰れる。そういう想いに至り、思い切って休むことにしました。同僚にはさぞ迷惑をかけているだろうと思いますし心苦しいですが、自分を守るためだとあえて自分に言い聞かせています。 思い返せば、7年前だっただろうか。あの時も確か10月だったな。仕事に馴染めず、不安感がとても強くなって、仕事を辞めてしまったのは。 あれから回復するのに一体何年かかっただろう。2年?3年? このまま働き続けたら、無理し続けたら、あの時の繰り返しだ。もう同じ過ちを犯したくない。そんな気持ちから、自分にブレーキをかけた。今回の休養に関して僕自身はこういう風に捉えています。 甘えとか、自分に都合がいいとか、やはり思われてしまうんでしょうか? でも、たとえそうだったとしても、自分の身を自分で守るしかない中で、僕はこうするしかなかったんだと主張すると思います。休むに至るまでの過程がよくなかった(診断書を出すまで働き、整理や引継ぎをしてから休暇に入るべきだったかもしれない)ことは否定しがたいけど、心の限界というのは予期せず突然来るものだから、難しいところです。 今後どうしようかは現在非常に悩んでいます。現職に復帰するか、転職をするか。もっとも将来的には転職を考えていたので、ある意味ではいいきっかけなのかもしれません。計画よりややタイミングが早まってしまいましたが、このまま退職というのもアリかなと思っています。 どの道に進むかは検討中ですが、実際転職するとしたらもうサラリーマン辞めよっかなとも考えています。これまで仕事というと会社勤めをはじめとするサラリーマン以外をほとんど考えてこなかったのですが、ほとほとネクタイとスーツと革靴、それから規則正しい生活が嫌になってしまい、自営もありかなと。 ここで疑問に思ったんですが、そもそも自営という選択肢って、閉ざされてるわけじゃないけど身近じゃないなと。その人の置かれた環境にもよると思いますが、サラリーマン家庭に育ち、四年制大学に通い、自分で事業を興せる自信もなかった僕にとって、どこかの企業に勤めるのはごく自然なこ...

不公平だなんて、言ってもしょうがないけどさ

自分が自分として生まれてきてよかったと思ってる方も、自分のことが大嫌いな方も、こんばんは。僕自身は後者からちょっとずつ中間地点に向かって、行ったり来たりしています。 突然ですがボディソープを以前使っていたものに戻したんですよ。 以前誤ってボディソープを切らしてしまって、やむなく夜にコンビニで購入する羽目に陥り変えてしまったんです。ですがアトピーに合わないのか、どうも使い始めてから肌の調子が良くない。そもそも泡立ちもとても悪くて、果たしてきちんと洗えてるのかと何度も疑心暗鬼になりました。勿体ないからと使い続け、ようやく使い切りました。戻してよかった、いい気持ちです。 でも僕が回帰したボディソープの商品名とアトピーでグーグル検索すると、合う人と合わない人といたり、同じ人でも病状で合わなくなったりするエピソードが出てきました。ありきたりな結論になってしまいますが、自分に合ったボディソープを使うというのが大切なんですね。 そんなアトピー体質の僕ですが、中学時代から体毛が濃いことも一つのコンプレックスとなっていました。胸、下腹部、大腿、下腿、前腕、…。毛深くて肌は汚い、かゆくなると掻把を抑えられない。それ自体も辛かったですし、周りからも汚いものを見るような目で見られたこともありました。思春期は特に傷ついて、僕の自己肯定感の構築の大きな障害となっていたと思います。 脱毛も考えるんですが。意外と脱毛もハードルが高い。 何しろアトピーなので肌に負担のかかる方法をとれない。光美容器などの取扱い説明にはアトピーの人は使用しないでくださいとしっかり書かれています。 メンズエステの体験も行きましたが、気になっている箇所を全部やろうとすると何十万(もっと?)とかかってきます。加えて定期的に通わないといけない。僕のブラック労働時間かつブラック安月給ではとてもじゃないけど通えません。 なーんて考えると、自分で剃って、伸びてきたらまた剃るが一番手っ取り早くて安上がりです。しかしこれはあまりに面倒で結局続かない…。 生まれつきの体質でどうしてこんなに悩まないといけないのか。 残酷ですが、人間は本当に不公平だなって思います。容姿、体質、能力、家庭環境、経済的環境、出会う人、時代、…。どんな人生が待っているかは生まれてくるまでわかりませ...

別れを告げる相手とは

人の入れ替わり、出会いや別れの季節をお過ごしのみなさま、こんばんは。自分とお別れしたくなっていませんか? 多忙な4月前半がようやく終わろうとしています。社内行事のために本業を妥協するという本末転倒を堂々と歩んできましたが、上司からは積極的に他部署とコミュニケーションをとっていると評価されたらしく、改めてダメな職場だなと実感しております。 勤め人は正直に言ってきついです。生産手段さえあれば独立自営したいです。 こどもの頃に思い浮かべていたよりも、ずっと平凡な日々になってしまいました。小さい頃から嫌だなと思っていた、毎日スーツ着て会社に行くというような人生を過ごしています。今でも嫌です。スーツはもちろん、ネクタイも嫌いです。靴下は踵までのものしか履きたくない。そして何より毎朝決まった時間に起きなければならないのが苦痛です。 通算サラリーマン生活は5年に満たないほど短いのですが、何度もサラリーマンは向いていないと思わされましたし、辞めたいと考えた回数なんて数え切れないし、仕事自体も大して好きではありません。なんとか退職せずに継続しているのは、職場に会いたい人がいるからです。 勤める、というのは雇用契約を結び、労働者として資本家に労働力を提供することと言い換えられます。僕は自分の自由を制限され、労働力を売って収入を得ます。なぜ自分の労働力を売りに出さないといけないのか。それはひとえに僕が自分で稼ぐ力がないからです。お金も持っておらず、事業を興すための知識や気力、アイデアを生む発想力も欠けているからです。努力によってこの状況は克服可能です。現に学生で起業される方なんて、もはや珍しくもなんともありません。でも僕には(少なくとも今のところ)できそうもありません。やりたい事業も特にありませんし。そんなわけで今の社会にあって、僕は労働者とならざるを得ない状況に追い込まれています。 人生をこのまま、あと数十年も勤め続けて終わりたくないなぁと強く願っています。自分の労働力を他人の、資本のために売りに出し続けるのは性に合いません。冒頭にも記したように、4月は出会いや別れの季節。僕自身の人生のあり方を、もう一度検討するにはちょうどよい頃合いです。 もう深夜なのでここらで筆を置こうと思いますが、就業時間のためにこうして私生活まで制限されるんだ...

患者「胃が痛いんです」医者「検査の結果…」

胃カメラの検査を受けたことがある方も、無い方もこんばんは。僕は早く人間としての適性検査に合格したいところです。 早速ですが、今回のテーマは「機能性ディスペプシア」です。みなさん、この病名をご存知でしょうか?僕は医療事務をするまで聞いたことがありませんでした。 医者でもない僕の口から説明するのは厳しいので、引用をしましょう。アステラス製薬のウェブサイト( https://www.astellas.com/jp/health/healthcare/fd/basicinformation01.html )から。 >機能性ディスペプシアとは、胃の痛みや胃もたれなどのつらい症状が続いているにも >かかわらず、内視鏡検査などを行っても異常がみつからない病気です。 通常、胃カメラをすれば萎縮性胃炎だとか逆流性食道炎だとか、あるいは胃潰瘍だとか見つかることが多いです。でもそういった検査所見が何も出てこない、患者が訴える症状の原因が発見されなかったという時に診断される病名です。 僕らは通常、痛みや不快感などの身体症状がある場合には何らかの原因があると考えます。しかしながら上記のような検査をしても明らかな異常がないということも、しばしば見受けられます。たとえば各市町村で大腸がん検診として行われることの多い便潜血。お通じに血液が混じっているかを検査するもので、もし便の潜血が陽性であれば何らかの病気に(最悪の場合大腸がんに)かかっている可能性があるというわけです。しかしいざ内視鏡検査をしても異常なし、痔核もなしといったことも珍しくはありません。 原因はわからないけど痛い、痛い原因を知りたいのに原因を特定することが(少なくとも現在の医学では)できない、ということは少なからずあるようです。僕も以前はストレスで胸のあたりが痛むことが続き、この痛みは何なんだと気に病んだことがありました。ちなみに僕も採血、レントゲン、心電図を施行しましたが全て異常なし。医者には「ストレスじゃない?」とあっさり言われて終診となりました。結局その原因は今でもわかりませんし、今も知りたいと願っている状況です。でもこの状況を、原因不明を受け入れるしかないんですよね。 諦めろというわけではありませんが、世の中何でもかんでも原因が追及出来て、自分に理解できる形で提示されるわけではない。自分で解...

あくまで言葉遣いの問題ですが

健康に関心のある方もない方も、こんばんは。早く一人の人間であると社会的に診断を受けたいですね。 珍しく2日連続で。今週は帰りが遅くなるのが予めわかっているので継続はできないだろうけど、書ける範囲で頑張ってみようと思います。 紆余曲折あって現在医療機関で働いているわけですが、健康診断に来る方々を見るたびに健康への関心度の高さを実感します。特に去年は有名人が乳がんを発症したというニュースが流れたこともあってか、女性の乳がんへの不安は高まっているように見えます。 一方で会社から人間ドックをいついつまでに受けろと言われているからという理由で毎年ダラダラ受け続けてる、毎年定期的に食事や運動の指導を受けているのにまったくメタボが治ってない、というような方も散見されます。医師の方も「やる気なくなるよねw」などと愚痴をこぼしていたりします。 僕の周りだと、長生きしたくないというような声も聞こえます。僕自身長生きしたいかと聞かれると、特に興味はありません。40歳で亡くなろうが90歳まで生きようが、それが自分の人生なんだと受け入れる準備があるというか。僕は以前鬱状態に陥って、生きていく希望もなければ今後生き抜いていく自信も失ったことがありました。あの時、僕の人生は一度終わったんです。今は第二章というか、続編というか、むしろあとがきのようなもんです。附録なんです。本来既に終わってるはずの人生だから、あと何年続こうが別にどうでもいいって気持ちなんです。長生きなんて、できたらラッキーてなもんです。 まぁでもできたらラッキーということは、積極的に早死にしたいわけではないですね。それと長生きしたいとちょっと違いますが、80歳という人生のステージを経験してみたいという好奇心はあります。そういう意味ではある程度は長生きしたいと思っているのかもしれません。 時々、健康ってなんだろうって思うことがあります。病気ってなんだろうと思います。 健康診断では、数値や画像等が「基準」の中に収まっているかどうかで健康であるかが判断されます。基準をやや外れていれば経過観察、大きく外れれば要精査・要治療と診断されるわけです。基準内であれば正常、基準外であれば異常と呼ばれます。そして受診者を正常な状態である「基準」の中に誘導することが、医療機関の務めというわけです。 徐々にですが健康というのは「基準...

書けないくせに書きたい気持ちを抑えられず

学生の頃、国語が好きだったあなたも嫌いだったあなたも、こんばんは。 最近、いやもう以前からだろうか?全然ブログ書けないんですよ。って読めばわかるか。 でもブログ以外に大学ノートに日記もつけてるんですけどね。そっちもほとんど書いてない。ちなみに家計簿もやめちゃった。唯一続いているのは手帳くらいなもんですかね。 日々記録をつけずに漫然と生きていると、振り返った時にオレって何してたんだろうってわからなくなっちゃうんですよね。僕の場合、情熱を持って何かを目指して夢中で突き進んでたがゆえに記録がないってわけでもないし。ただ面倒なだけだから。これはとても虚しい。 ただ自分でも不思議なことに、書きたいって気持ちはずっとあるんですよ。文章を書きたい。でも何を書いたらいい?何を書けばウケる?何を書けば面白いと言ってもらえる?何を書けば役に立つ? 書きたいって気持ちの隣に「読んでもらいたい」があるかのような書き方になってしまいましたが、根底にあるのは「書きたい」なんですよ。「書きたい」>>「読んでほしい」>0って図式ですね。 それでも書くことができないのは中身がないからなんですね。人として僕は中身が薄い、あるいはないんです。だからつまらまい。 心優しい人は「そんな自虐しなくても」って思うかもしれませんが、これが事実だから仕方がない。 とにもかくにも、昔から僕はインプットが少ない人間でした。インプットの苦手を、この歳になるまで引き摺ってしまいました。早いうちに克服しないと、もう修正がきかないかもしれません。そのくらいのつもりじゃないとダメですね。一生虚しいままです。 読んでほしいって気持ちは先述した通りゼロではありません。でも僕がブログを書くのは読んでもらうため、具体的な他者にオレの話を聞いてくれって願っているからではないように自分では思います。一体僕は誰に向けてわざわざ丁寧語まで使ってブログを書いてるんでしょうか。 これは僕自身でもよくわかってないのですが、実を言うと僕は自分の空想の中に出てくる「隣の人」に話しかけてるような感覚なんです。大学ノートに書いたことは「隣の人」には見ることは出来ません。しかしネットにアップされたブログ記事は「隣の人」も読むことができるんです。おかしな設定です。 自分で説明してても気持ちが悪いし、頭おかしい...